
【昭和30年代】
おめでたいことにクリスマスの当日、九州は小倉で生まれる。
【昭和40年代】
小倉祗園太鼓の鼓動で育ち、地元の公立小中学校に。中学生時代に初めてのバイト新聞配達を経験。一ヶ月無休の月給が当時は約7000円!
【昭和50年代】
憧れの県立の進学校小倉高校に進学したものの学校の雰囲気に馴染めず、友達ができない状態に陥って暗黒時代を過ごす。はっきり言って人間嫌いになる。両親の離婚&父親の死&赤貧と立て続けに境遇が変化。後がない大学受験にも失敗して更に一年の浪人生活を経験しこの辺で運が好転、神戸大学経済学部に進学。生活費を稼ぐため日々バイトに明け暮れた後、当時まだ無名の株式会社ノエビアに入社。
【昭和60年代~平成元年】
北九州→福岡→岡山と転勤を重ねるが、ルート営業に近い業態に馴染めず、駄目営業マンのレッテルを貼られる。その後内勤に異動し本来の自分を取り戻したが、段々と商売人に魅力を感じ始める。
【平成元年~平成8年】
バブリーな時代に突入し、余暇を使ってアメリカ・ロサンゼルス一人旅を敢行したりマラソン・トライアスロン等自虐的スポーツにのめりこむ。が、北海道・サロマ湖100kmマラソンに出場したのを最後にあっけなくバブル崩壊しレースから遠ざかる。その後、脱サラ・東京移住を考えるも偶然の転勤辞令に従い長野の松本支店に赴任。
【平成8年以降】
平成8年2月29日未だ進路が決まらぬまま退職。人力屋の構想は浮かぶが全く仕事につながらず、日雇い派遣フリーター→屋台店員→居酒屋店長→人力屋一本後に挫折→米屋で灯油の配達→宅配便配達→派遣営業社員と二足のワラジ状態を転々とした後、平成16年、3度目の正直の独立。現在に至る。










